正式名称は「構造計算書偽装問題」といいます。
耐震構造計算書とは、建物の強度を確保し地震などによって倒壊しないように法律通りに作られているかを計算したもので、姉歯事件では耐震性能を実際よりも高くなるような偽装がされていました。
これが偽装されたということは、地震によってマンションやホテルが倒壊する恐れがあるということ。日本は世界で4番目に地震が多い国ですから、自分のマンションも偽装があるのではないかと心配する人が続出し大騒ぎになりました。
この事件は、2005年11月に分譲マンションでの「グランドステージ北千住」で構造計算書の偽装が発覚したことがはじまりでした。
マンション建築中に施工を請け負った「木村建設」が、鉄筋量が少ないことに気付いて設計管理者の「アトラス設計」に調査を依頼しました。
報告を受けたアトラス設計事務所は、建築確認を行った民間の検査機関「イーホームズ」に再調査を依頼しました。建築確認を行ったイーホームズは再調査と内部監査を行い、偽装の発覚に至ったというわけです。
マンションを建設して販売するまでには、たくさんの業者が関わってきますので、それぞれの立場や流れを整理していきたいと思います。
まず、マンションを建設するためには土地を購入する必要があります。
施主(建築主)が土地を購入し、施主から依頼を受けた設計事務所は設計図を書いて建築確認申請をします。
審査の結果、問題がないと判断されると建築の許可が下りて工事を行うことができるのです。
今回の場合ですと、不動産会社の「ヒューザー」がマンション用地を仕入れて「アトラス設計」に設計を依頼、建築確認を「イーホームズ」が行いました。建築確認がおりたので「木村建設」が建築工事を進めていたところ、問題が発覚したというわけです。
ここまでの流れでは、肝心の姉歯設計事務所が登場しませんが、一体どこに関わっていたのでしょうか。
マンションの建築設計は一級建築士が行います。建築設計は大きく分けて3種類あります。
ゼネコンなどすべての設計を一つの事務所で行うこともありますが、
それぞれが専門性の高い作業のため多くの場合は専門の設計士に依頼をします。
意匠設計が大枠を決め、それをもとに構造設計や設備設計を行い、それぞれのすり合わせをしていきます。
今回の事件では、アトラス設計がリーダーとなってプロジェクトを進め、構造・設備設計を下請けに任せる形をとっていました。
構造設計を依頼されたのが姉歯設計事務所になります。
では、姉歯設計が行った構造計算書の偽装とはいったい何だったのでしょうか。
構造計算とは耐力を求めるために必要な計算で、以前は手書きで行われていましたが、現在ではコンピューターを用いて計算を行っています。耐力とは建物が倒壊しないようにする力で、建築基準法で定められています。
構造計算書は数字が大量に羅列された分厚い書類で、構造設計士以外の人が見ても何を意味するのか全く分からず、ちょっと数字を変えただけでは気づくのが難しいのです。
その専門性から、意匠設計はできても構造設計はできないという建築士も多いといいます。
姉歯設計士はその数字を意図的に書き換え、建物の重量を実際よりも軽く、地盤の強度を高く見積もっていました。そのため、建物の耐震性能が実際よりも高く出ていましたが、実際には耐震性能は低く建築基準法の基準を満たしていなかったのです。これにより、柱や梁が細くなる、コンクリートの強度が低くなる、鉄筋の本数が少なくなるなどの影響が生じます。
建築確認とは、工事着手前に「特定行政庁」または「確認検査済み機関」に設計図書を提出し、建築基準法への適合性についてチェックを受けることで、建築基準法6条、6条の2・3に基づいています。
建築確認に合格後、確認済証の交付を受けると着工段階に移ることができます。建築確認は、建築基準適合判定資格者検定に合格した公務員で市町村長や都道府県知事から任命された建築主事が行っていました。 1999年に建築基準法が改正されて、指定確認検査機関という国土交通省から指定を受けている企業が耐震強度の検査ができるようになりました。
建築確認申請の数が増えて処理が追い付かなくなり、確認申請を出してから確認済証の交付までに何か月もかかることが増え、いつ着工できるかわからないなんてケースもありました。また、建築技術が専門化していき、主事の能力では判断が困難な例も増えたことから民間への委託につながりました。
民間のほうが効率的で確認がおりるのも早く、17時以降でも担当者と連絡がとれることもあり、申請から着工までのスピードは格段に速くなりました。 マンションの建設は、デベロッパーが銀行から土地の購入費やマンションの建設費の融資を受けて事業を始めます。
着工が遅れれば遅れるほど利益を圧迫するので、マンションの建設にはスピードが重要となり、建築確認の民間化は建築関係者の多くから歓迎されました。しかし、民間企業は役所と違って利益をあげなければならないので、数をこなす必要があり、検査の精度が落ちていたのではないかともいわれています。
グランドステージ北千住で構造計算書の偽造が発覚してから姉歯設計士が設計した物件が国土交通省により再調査され、マンションだけでなくホテルも耐震強度の偽装が発覚しました。
最終的に、姉歯設計士が関与した物件ではマンション20棟、ホテル1棟の計21棟で偽装が発覚しました。
姉歯事件は連日各種メディアでも大々的に取り上げられ、住民たちの不安をあおりました。
地震の多い日本ですから、自分の住んでいるマンションが倒壊したら…と心配する人であふれ、姉歯の設計したマンションは「殺人マンション」と報道されたこともありました。
マンションを販売している不動産会社には、自分の住んでいるマンションは大丈夫なのか調査してくれといった内容の問い合わせが殺到しました。姉歯設計士が関わっていませんと伝えても、民間検査機関で確認申請を行った物件は信用できないという人も少なくなかったのです。
ですが、この再調査も難航していました。
2000年12月に「マンション管理の適正化に関する法律」が施工され、第102条で構造計算書を引き渡すことが定められるまでは、構造計算書を管理組合に引き渡す義務はありませんでした。2001年以降のマンションについては引き渡していますが、それ以前は基本的に管理組合に渡していなかったため、構造計算書が保管されておらず、偽装がないかどうかのチェックもできないのです。
また、構造計算に用いるソフトウェアも日々進化していますが、これが大きな壁になりました。構造計算ではコストを削減するため、いかに効率的に設計するかが求められます。多くの建物は建築基準法のギリギリで設計されているのです。
そうなってくると、10年前に基準ギリギリで設計されたものはアップデートを重ねた現在のソフトでは基準を満たしていないと判定がでてしまうので、当時のバージョンのソフトで再計算をする必要がありました。これにより再計算してNGが出た場合に、偽装なのか、計算ミスなのか、当時の基準では合格していたのかがわかりづらく混乱を招きました。
多くの建築物は安全に施工されていますし、構造計算書偽装事件は例外なのですが、専門性の高い分野について一般の人に説明することは難しく、どこのデベロッパーでも、自社物件の安全確認と住民たちへの対応におわれる日々が続きました。
分譲マンションには建替えなどの公的支援を受ける措置がとられましたが、所有者は二重の住宅ローンを抱えることになり、人生設計を大きく狂わされる出来事でもあったわけです。
姉歯事件の偽装発覚を発端として、2007年6月20日に建築基準法が改正されました。
1 建築確認・検査の厳格化
2 指定確認検査機関の業務の適正化
3 建築士等の業務の適正化及び罰則の強化
4 建築士、建築士事務所及び指定確認検査機関の情報開示
5 住宅の売主等の瑕疵担保責任の履行に関する情報開示
6 図書保存の義務付け等
改正後は構造計算のチェックが厳しくなり、基本的には申請書を二重でチェックする体制を義務付けました。
また建築確認の審査や検査も厳格化されました。
一定の高さ以上等の建築物については、第三者機関による構造審査(ピアチェック)が義務付けられることになり、3階建て以上の共同住宅は中間検査を法律で義務付けられました。構造計算プログラムも大臣認定内容が変更され、新しいものが適用されることとなりました。
また、建築確認申請後の建築計画の変更、訂正、補正が軽微な変更を除いて認められなくなり、再申請が必要となりました。従来は設計図書に関係法令に適合しない箇所や、不適合な箇所がある場合には、建築主事等が申請者にその旨を連絡し、補正させた上で確認していました。しかし、今回の法改正に伴って、誤記や記載漏れなどを除き、図書に差替や訂正がある場合には補正が認められなくなりました。
着工後の計画変更に関しても軽微な変更を除き、原則として計画変更申請が必要となります。
したがって、従来補正で対応していた部分も、このような変更が生じた場合は、一旦工事をとめて申請を行うことになりました。
建築士の資質・能力の向上、高度な専門能力を有する建築士の育成・活用、設計・工事監理業務の適正化、建設工事の施工の適正化等を図り、耐震偽装事件により失われた耐震偽装事件により失われた建築物の安全性及び建築士制度に対する国民の信頼の回復を目的として改正がなされました。
建築士に対する定期講習の受講義務付けと建築試験の受験資格の見直しがなされました。
講習の実施に伴い、講習機関の登録制度を創設し、受験資格についても学歴や実務経験の適正化がなされました。
一定の建築物について、構造設計計一級建築士、設備設計一級建築士による法適合チェックの義務付けがなされました。
前項の建築基準法の改正により、法適合チェックがされていない場合の確認申請書の受理禁止等が定められました。
また、小規模木造住宅に関しても構造関係規定の審査省略が見直されました。
設計・工事監理契約締結前に管理建築士等による重要事項説明及び書面交付の義務付けがされました。
建築士、建築士事務所の登録・閲覧事務の実施にあたり、指定登録法人制度を創設し、建築士名簿の閲覧、顔写真入り携帯用免許証の交付を開始しました。
分譲マンションなど発注者とエンドユーザーが異なる一定の工事について、一括下請負を全面的に禁止されました。
耐震性能を示す指標には、「耐震基準」と「耐震等級」の2つがあります。
建築基準法の基となる市街地建設物法が1920年に施行され、
1924年に耐震基準が盛り込まれました。
耐震基準は1950年に建築基準法の制定を受けてから、
1971年・1981年・2000年にそれぞれ改正が行われてきました。
1968年に起きた十勝沖地震を踏まえ、RC造のせん断補強基準の強化が図られました。
この地震では、住宅の倒壊による被害が多く、実際に600棟以上の全壊、15,000棟以上の建物が一部損壊する被害がありました。こうした被害を受け、柱の強度についての改正が主たる内容となっています。また、木造住宅の基礎を独立基礎から、連続したコンクリートの布基礎とすることが規定されました。
「旧耐震基準」と呼ばれる1950年から1981年5月まで適用されていた基準は、震度5強程度の揺れに対して家屋が倒壊・崩壊しないという基準でした。そのため、それ以上に大規模な地震の発生は、あまり考慮されていない面がありました。
1978年、震度5の地震で7400戸もの家屋が倒壊した宮城県沖地震をきっかけに、建物の耐震基準が大幅に見直されて1981年6月1日から現在も適用されている「新耐震基準」となりました。
新耐震基準では、震度6強〜7程度の揺れでも家屋が倒壊・崩壊しないことを基準とし、耐震性に関する規定が厳格化され、一次設計の許容応力度計算と二次設計の保有水平耐力計算の概念が取り入れられました。
1995年に発生した阪神淡路大震災では、実際にビルが倒壊したり、高速道路の柱脚が倒壊し道路が横倒しになったりする被害がありました。
この大地震をきっかけに、耐震基準がさらに見直されましたが、新耐震基準で建てられた建物の7割超は軽微・無被害で済んでおり、旧耐震基準の建物と比較して重大な被害は免れたという結果もあります。
2000年基準と呼ばれる今回の改正は木造住宅に関するもので、RC造のマンションの耐震基準は大きく変わっていません。木造住宅でも地盤調査が義務づけられ、耐力に応じた基礎構造とすること、柱や筋交いを固定する接合部の金物が指定されて耐力壁の配置のバランスを考慮することが示されました。
多くの人々を震撼させ連日マスコミにも取り上げられた姉歯事件ですが、事件の関係者たちはそれぞれ刑に服しました。
また、業界全体にも大きな影響を及ぼし、それまでのやり方を見つめ直す契機となり、人々の安心・安全な暮らしを守るために様々な法改正や基準の見直しがなされました。当時もほとんどの建物は基準を満たして設計されていますし、姉歯事件を経て法改正後に建てられた物件の安全性はとても高くなっています。
今後このようなことがないことを願います。
執筆 斉藤 舞