各都市の昨今の状況【市川市】

不動産購入の御検討にあたり、土地勘は無いけれど、よく聞く都市の名前だからいいのかも…と、御検討される方も多いのではないでしょうか?

都市の名前は知っているけれど、実際のところ、どういった地域なのか?
どれくらい需要のある地域なのか?
これからの発展の可能性はあるのか?
など、よくわからないという方も多いと思います。

今回は弊社で調べました、各都市の昨今の状況についてお伝えしたいと思います。
今後の不動産購入にあたり、参考にして頂ければと思います。

市川市について

市川市は千葉県の北西部にある市です。

東京の都心からは10〜20キロメートル圏内にあり、東京のベッドタウンとして発展してきました。隣接している自治体は東京都の江戸川区、浦安市、船橋市、松戸市、鎌ケ谷市です。

ベッドタウンと人口のドーナツ化現象とは

ドーナツ化現象とは

郊外でのニュータウン建設などが盛んであった高度経済成長期から見られるようになり、地価が高騰するバブル景気の時期には、より顕著になりました。

特に東京、大阪、名古屋の三大都市圏においては、隣接県への急激な人口流出としても現れていました。

東京都市圏では、1960年代から1990年代にかけて都心3区(千代田区・中央区・港区)では人口が減少し、1960年代後半から1990年代半ばまでの東京都区部でも人口の転出超過がが続き、郊外では人口増加が進行していきました。

これには、交通網の整備による利便性の向上と、戸建ての需要が高くなった事により都心部での地価の上昇とともに、戸建て用地としての需要を郊外に求めていったことが要因としてあげられます。

家族で暮らすようになり、旦那は都心で働いていても奥様は庭付きの戸建てで子育てがしたいというような時代背景もありますが、近年ではコロナ禍によりリモートワークやオンライン授業などによってわざわざ電車に乗って通勤しなくても良い世の中となり、再びドーナツ化現象がクローズアップされるようになりました。

2020年の国勢調査によると市川市に常住する就業者・通学者258,431人のうち千葉県外で従業・通学している人が124,995人います。

市川市は東京都に隣接しており、都内に直通する鉄道路線がたくさんあります。市川市からは北総鉄道北総線や京成本線、都営地下鉄新宿線、中央・総武緩行線などが都内直通の路線です。さらに、国道14号線や2018年に延長開通した国道298号線や京葉道路、首都高速湾岸線の2つの高速道路が東京都に直通しています。電車でも車でも東京都へのアクセスが良いため、都内へ従業・通学する人が多いです。

政令指定都市・中核市以外の都市の中では市川市は松戸市に次ぐ人口を持ちます。財政力指数が高いのが特徴であり、地方交付税の不交付団体になることが多いです。

政令指定都市とは

政令指定都市とは

地方自治法に基づき、政令で指定される人口50万人以上の市。

かつては100万人以上の市に限られており、1956年の創設時には五大都市と呼ばれる大阪、京都、神戸、名古屋、横浜の5市のみでしたが、高度経済成長期に札幌、福岡、広島、仙台、北九州、川崎、千葉の7地方の拠点市が移行しました。

また、「平成の大合併」で、自治体の行財政基盤を強化する観点から、国が人口要件を70万人に引き下げたことにより8つの地方都市(さいたま、静岡、堺、新潟、浜松、岡山、相模原、熊本)が新たに政令指定都市となり、現在は20市まで広がっています。

政令指定都市は県と同等の都市計画決定の権限を持つほか、児童相談所の設置や教職員の任免などの権限も認められる。道府県の仕事の8割程度を担う。一方、道府県と政令市が似たような業務を手掛ける「二重行政」による行政の非効率が生じやすい課題も指摘されており連携の部分で問題視されています。

また、政令指定都市には「行政区」と呼ばれる区があり、区役所も設置があります。ただ、東京23区のように選挙で区長や区議会議員を選ぶ「特別区」とは異なり、政令市の内部組織の位置づけで2012年成立の大都市地域特別区設置法で、東京都以外の大都市に特別区を設置できるようになりました。

市川市は昔から多くの人が居住していた地域であり、歴史的な街並みが広がっています。また、文教都市や学園都市としての一面もあり、高級住宅地もあるなど、多様な顔を持った都市です。

特に国道14号の北側のエリアは歴史が古くて、多くの遺跡や古墳が発見され、市内には葛飾八幡宮を始めとして由緒ある神社仏閣が多数あり歴史的な側面もございます。

須和田遺跡は指定文化財として登録されています。

須和田遺跡

須和田遺跡は真間山の台地から東に延びる、長さ600メートルほどの須和田台地のほぼ中央にあります。縄文時代前期の小貝塚がわずかにみられるほかは、弥生時代中期から平安時代に至る各期複合の集落遺跡です。とくに古墳時代後期以降が大きく、住居址も多く発見されています。

南関東地方に弥生文化が伝えられたのは紀元前100年ごろといわれていますが、その南関東地方で最初に出現した弥生式土器が須和田台地から出土し、須和田式土器という型式名で呼ばれるようになりました。つまり、弥生文化をいちはやく受け入れた遺跡の一つが須和田遺跡だといえます。奈良・平安時代に比定される真間式土器や、国分式土器の標式遺跡としても知られています。また、これまでの調査により、弥生時代後期の久ヶ原期・弥生町期・前野町期の住居址も発掘されています。

なお、須和田公園13,000平方メートルのうち、グラウンドを除く7,712平方メートルが県史跡の指定範囲となります。

2022年は国府台遺跡周辺で長さ約30メートルに及ぶ大規模な 溝状遺構が発見され、当時の国府を区画する東側の境界線が改めて裏付けられました。04年に北側の千葉商科大学の構内で見つかった溝などと結ぶと、合わせて約500メートルに及ぶとみられる。溝は、国府を区画する意図で掘られたと推測されています。

人口推移

市川市の2023年10月31日時点での人口・世帯数は以下の通りです。

人口総数 世帯総数 男性 女性
493,015人 256,155人 249,188人 243,827人

また、2018年度における市川市の将来人口推計を以下にまとめました。

2030年の人口推計 443,371〜457,209人
2035年の人口推計 428,180〜449,425人
2040年の人口推計 410,906〜439,091人
2050年の人口推計 372,890〜415,573人

市川市の将来の人口推計は3つのシナリオを仮定したものです。現在の状況が継続するケースや市民の希望が叶うケースなどを仮定しています。今後は市川市の人口が緩やかに減少していくと予測されています。

市川市の人口は高度経済成長期に合わせて増加してきました。昭和30年代から人口の増加が続いて、平成5年になると約44.7万人にまで達しています。その後は横ばいか微増の傾向が続いており、人口のピークは平成21年の約47.6万人でした。

 

市川市の制度

市川市はさまざまな制度を実施しています。

いちかわ発 子育て未来プロジェクト

市川市では子育てを応援するために「いちかわ発 子育て未来プロジェクト」を立ち上げています。さまざまな支援制度を通して子育てを応援するプロジェクトです。

市川市では第二子以降の保育料の無償化を実現しています。

第二子以降の子どもについて、所得制限を設けずに保育料を無償化するのが特徴です。第一子の年齢は関係なく、認可外施設も対象になっています。第二子以降の保育料が無償化されることで、平均して年間約26万円の保育料を軽減できる効果があります。

また、市川市では小学校・中学校の給食費無償化を実現しています。

市川市内にあるすべての市立学校の給食費が無償です。その結果、小学校では年間約5万円、中学校では年間約6万円の給食費の負担がなくなります。

さらに、市川市は子ども医療費助成として医療費助成の対象を18歳までに拡大しました。

18歳までの子どもの医療費の一部または全部を助成します。対象になる子どもは、入院1日300円、通院1回300円、調剤無料になるのが特徴です。同一医療機関で同一月の受診の場合には、入院11日、通院6回以降について自己負担金が無料になります。

上記以外にも産後家庭ホームヘルプサービスや預かり保育利用料の補助、病児・病後児保育などさまざまな支援制度で子育てを応援しているのが市川市です。

市川市 地域防災力向上計画

市川市では地域の防災力の強化を図るために地域防災力向上計画を策定しています。

具体的な取り組みとして、空調設備の整備を進めているのが特徴です。

小学校や公共施設の冷暖房設備の設置を進めることで、避難所の暑さ・寒さ対策を行っています。
令和5年4月の計画段階での目標としては、市内の7校の小学校と2つの公共施設の冷暖房設置を目指しております。

また、トイレ環境の整備に力を入れており、市内の中学校のトイレ洋式化に取り組んでいます。

下水道設備が破損したときに備えて、災害用備蓄トイレや簡易トイレの備蓄も行っています。

大規模停電が発生したときへの備え

大規模停電が発生したときへの備えとして大型蓄電池やLEDバルーンライトの整備も進めています。他には、マスクや消毒液、おむつなどの備蓄を進めており、避難所の環境の充実化に取り組んでいるのが市川市です。

各種防災マップの作成にも力を入れていて、市民にマップを配布しています。

いちかわ支え合いネット

市川市では生活支援や社会参加の情報提供をする「いちかわ支え合いネット」というサイトの運営を行っています。

「いちかわ支え合いネット」は生活の困りごとなど市民の知りたい情報を検索できるサイトです。市民活動団体やNPO法人、ボランティア団体、企業などが情報を発信しています。

市川市の鉄道・バス

市川市の主要駅

市川市の主要駅と乗降者数について以下にまとめました。令和2年におけるデータです。

駅名 1日平均
乗降客数
路線
JR本八幡駅 46,225人 中央・総武緩行線
JR市川駅 46,169人 総武線
東京メトロ行徳駅 44,433人 東西線
東京メトロ南行徳駅 41,083人 東西線
京成八幡駅 28,171人 京成本線
本八幡駅

本八幡駅は市川市八幡二丁目に位置します。駅の周辺には市川市役所や商業施設が集まり、市の中心エリアです。

周囲には高級住宅街や超高層マンションなどもあり、昼夜を問わずたくさんの人で賑わいます。都市再開発が進んでおり、今後も市川市の中心地として発展していくでしょう。

市川駅

市川駅は市川市市川一丁目に位置します。周辺には東京医科歯科大学や市川学園などがあり、多くの学校が集まる文教都市・学園都市です。

また、北口から出たエリアは高級住宅街になっています。商業施設も周辺に林立しており、多くの人で賑わうエリアです。

行徳駅

行徳駅は市川市行徳駅前二丁目にあります。駅周辺は小学校や中学校、公共施設、スーパーなどの商業施設が集まるエリアです。

閑静な住宅街であり、昔ながらの商店街もあります。

直近では東京地下鉄(株)とメトロ開発(株)が共同で2023年6月30日に東西線行徳駅高架下に6店舗を開業し、これまでに駅周辺に展開していた店舗を含め、商業施設名称を「M'av行徳」(マーヴ行徳)として開業しました。

市川市の路線バス

市川市の主要な路線バスは京成バスと京成トランジットバスです。かつて京成バスが有していた市川市南部の路線は京成トランジットバスに移管されています。

京成バスは市川市北部、京成トランジットバスは市川市南部をカバーしているのが特徴です。市川駅と本八幡駅が京成バスの主なターミナルとなっています。

京成トランジットバスとは

もともとは東京ディズニーリゾート内の輸送等(東京ディズニーリゾート内ホテル・駐車場 - パーク間、および提携ホテルとリゾートを結ぶ無料送迎バスの運行)を目的として京成電鉄およびオリエンタルランドの出資により1999年2月2日に設立されました。

その後、京成電鉄が市川営業所八幡車庫担当路線(浦安線、行徳線、原木線、大洲線)の全線を分社化することとなり、行徳・浦安に至る2線は当社が受け持ち、北側の2線はタクシー会社の市川交通自動車(以下「市川交通」。現:京成タクシー市川)が「市川ラインバス」として受け持つことになり、4線の2社への移管は2001年9月16日となっています。
市川市コミュニティバス

市川市ではコミュニティバスが運行されています。バス停や鉄道駅から遠いエリアに暮らす人のためのバスです。平成17年度から北東部地区と南部地区において試験的に実施されました。北東部ルートは梨丸号、南部ルートはわくわくバスという愛称がついています。

北国分ルートとあいねすと循環ルートも試験的に実施されていたのですが、これらのルートは廃止されています。北国分ルートは京成バス市川営業所が、あいねすと循環ルートは京成トランジットバス塩浜営業所が受託しました。

市川市の開発

市川市ではJR総武本線沿線や京成本線沿線を中心にして昭和30年代まで土地区画整理事業が行われてきました。昭和40年代になると行徳地区において東京メトロ東西線が開業したため、沿線において土地区画整理事業が進みます。さらに、昭和48年からは大野周辺においても土地区画整理事業が行われ、昭和53年にはJR武蔵野線の延伸開業が実施されました。昭和63年にはJR京葉線が開業し、平成元年には都営地下鉄新宿線が開業しました。平成3年には北総鉄道が開業しています。

上記のように市川市では鉄道の開業に合わせて土地区画整理事業が進められてきました。その結果、市川市内の都市機能はJR総武本線と京成本線の周辺に集中しているのが大きな特徴です。特にJR総武本線から南部にかけては良好な都市空間が形成されています。集合住宅が整備されていて、人口密度が高いエリアとなっており、北部には名産品でもある梨農家が多く、江戸川沿いのエリアにはかつての宿場町として利用されていた八幡宿や市川宿、関所の名残が残っています。

臨海部は埋め立て地域となっていて工業地帯が形成されています。昭和30〜50年にかけて埋め立てによる整備が進められており、京葉工業地帯を担っている重要なエリアです。

「京葉臨海工業地帯」とも呼ばれる京葉工業地域は、全国で7位の工業生産額を誇ります。千葉県の東京湾岸に広がる工業地域であり、千葉県北西部の浦安市から富津市に至る東京湾海岸線を、約12,000ヘクタールも埋め立ててつくられました。京葉工業地域には鉄鋼・化学・石油関係の工場が多く並び、日本最大規模の素材とエネルギー供給地となっています。

市川都市計画事業市川駅南口地区第一種市街地再開発事業

市川駅南口地区第一種市街地再開発事業は、JR「市川」駅南口徒歩1分という利便性の高い立地において、市川市が施行する区域面積約2.6haの再開発事業で、1993年に計画決定され、再調査などを経て2003年に事業決定しました。

A街区を三井不動産株式会社、野村不動産株式会社ならびに清水建設株式会社が共同で、B街区を大成建設株式会社 と株式会社奥村組にて再開発をおこないました。

災害に強い街づくりを目指して、既存の道路を拡幅し、避難路が確保されるほか、タワー棟屋上に24時間街を監視する防災カメラが設置、歩行者が快適に安心して暮らせるように、歩道のバリアフリー化や高齢者対応のエレベーターの設置もされ、利便性が向上しました。

A街区には、地上45階地下2階、高さ160m、延床面積約86,500m2の商業施設・住宅(573戸)・図書館・託児所・展望フロアを備えたタワーマンションが建設され、展望フロアからの景色は日本の夜景100選や日本夜景遺産に選定されています。2008年に7月竣工。

B街区には、地上37階地下2階、高さ130m、延床面積約55,210m2の商業施設・住宅(約400戸)・行政サービスセンター・NPO支援施設・有料老人ホームが入居しており、賃貸部分の運営はUR賃貸住宅となっており、A街区から約半年遅れの2009年1月に竣工しました。

現在も、市川駅南口のランドマークして住民の皆様から愛されております。

ターミナルシティー本八幡

「ターミナルシティー本八幡」は、京成電鉄「京成八幡駅」前に再開発された「本八幡A地区第一種市街地再開発事業」の街区全体の正式名称で、住宅棟、業務棟、商業棟の合計3棟が建設される予定です。

「T期工事」の住宅棟は2013年4月に竣工、業務棟は2013年7月に竣工し、「U期工事」の商業棟は2015年5月に竣工されました。

住宅棟は、地上40階、地下2階、高さ144.2m、総戸数465戸で、 業務棟は、地上7階、地下1階で、正式名称は「京成本社ビル(京成八幡ビル)」です。

竣工後に京成電鉄の本社が「東京スカイツリー」近くから移転してきており、2013年9月17日から新本社ビルでの業務を開始しています。

市川市の今後の開発計画

市街地再開発事業

市川市は昭和30年代頃から急速に人口が増えたことによって、都市機能や防災機能が不足しています。公共施設の不足や住宅地の過密、都市景観などさまざまな問題が生じているのが現状です。特に主要駅周辺において不足する都市機能の強化を図ることが求められており、都市の再開発が大きな課題とされています。

以上の理由から、市川市では市街地再開発事業を推進しています。具体的な内容は以下の通りです。

特に市川市で多くの人が利用しているエリアが市川駅と本八幡駅の駅前です。そこで、これらのエリアについて市街地再開発事業が集中的に行うことが計画されました。市川駅についてはすでに市街地再開発事業が完了しています。

本八幡駅については、北口駅前のエリアについて再開発事業が計画されています。2023年9月9日に公聴会が開催されました。今後は事業を実現するために準備組合による検討が進められます。

本八幡駅の再開発で予定されている主な内容は以下の通りです。

高層ビル2棟の建設については、44階建てと21階建ての高層ビルが予定されていて、延べ約11万4900平方mになります。個数は約870戸であり、2027年度の着工、2030年度の竣工が目標です。

京葉ガス市川工場跡地開発事業

京葉ガスの市川工場跡地で開発事業が進められています。2006年に市川工場は創業が停止したため、跡地の活用のための開発事業計画を京葉ガスが市川市に提出したところ受領されました。開発事業は野村不動産株式会社、二井不動産レジデンシャル株式会社、二菱地所レジデンス株式会社、三菱地所リアルエステートサービス株式会社、イオンリテール株式会社が共同で行います。

開発のコンセプトは「中高層都市型住宅を中心とした、うるおいある緑豊かな街づくり」です。

共同住宅や運動広場、商業施設、シニア住宅、コンビニエンスストアの設置が予定されています。2023年9月29日に共同住宅の工事が着工されて、2025年5月30日に竣工するスケジュールです。

新湾岸道路

千葉県と東京都を接続する湾岸地域における交通渋滞の解消を目指すための構想が「新湾岸道路」です。千葉市と市原市、習志野市、浦安市、船橋市での整備が目指されています。

新湾岸道路は、市川市の外環道の高谷ジャンクションから千葉市の蘇我インターチェンジ、市原市の館山自動車道の市原ICまでを結ぶ計画です。

2023年の5月26日に千葉県と沿線6市で「新湾岸道路整備促進期成同盟会」が設立されて、要望書が国に提出されました。交通渋滞の解消や災害時の避難経路の確保、国際競争力の強化などが見込まれています。

市川市の駅や路線の開発や歴史

市川市の鉄道の歴史をまとめると以下の通りです。

総武鉄道

もともと総武鉄道とは千葉県内のみで活躍することを想定した鉄道でした。そのため、明治27年に開業した際には市川駅を基点として銚子駅まで路線が伸びていました。その後、1932年には御茶ノ水駅まで路線が伸びています。その結果、1932年の1日平均乗車人員が3303人だったのが、1933年には4,791人、1934年には5,170人、1935年には5,645人と急増しています。

当時、明治政府は鉄道を交通体系の主眼としていました。しかし、千葉県では水運が発達していたために鉄道の敷設が遅れています。千葉県下で初めての鉄道会社が誕生したのは明治22年であり、総武鉄道会社が設立しました。そして、明治27年に総武鉄道が開通したのです。

京成本線

京成電気軌道株式会社が設立されたのは明治42年のことです。京成電気軌道の初代社長の邸宅は市川真間にありました。現在の京成本線である京成電気軌道が開通したのは大正3年です。京成電気軌道は千葉県下では初めての電車となりました。また、京成電気軌道は市川発電所を建設しており、電車以外の事業も行っています。

東西線

東西線が開通したのは昭和44年のことです。当時、総武線が混雑しており、混雑緩和や時間短縮を目的として東西線が開通しました。

京葉線

京葉線はもともと京浜工業地帯と京葉工業地帯を結ぶための貨物船として生まれました。しかし、産業構造が変化し、工業用地が住宅用地に変化していったため、1978年からは旅客列車も走るようになります。旅客線は1986年に第1期区間として西船橋から千葉みなと間までが開業し、1988年には市川市内を通るようになり市川塩浜駅と二俣新町駅が開設されました。

都営地下鉄新宿線

都営地下鉄新宿線は新宿駅から本八幡駅までを結ぶ路線であり、1978年に開業して1989年に都営本八幡駅が開設しました。もともとは本八幡から千葉ニュータウン方面間まで千葉県営鉄道北千葉線として開通する予定もあったのですが、こちらは計画が白紙になっています。千葉県内で実際に県内の地下を走っている路線は都営地下鉄新宿線のみです。

北総鉄道北総線

北総鉄道北総線は1984年に開業した路線であり、1991年に市川市内が開通して北国分駅と大町駅が開設されました。北総鉄道は千葉ニュータウン建設と深いつながりがあります。東京都心と千葉ニュータウンを結ぶことが北総線の目的でした。千葉ニュータウン計画そのものは縮小したのですが、北総線の北国分駅の周辺は開発が進行しています。1990年代の後半に土地区画整理事業が完成して、マンションや商業施設の建設が進められました。都心へのアクセスに便利なため、北総線の乗車人員は増加しています。

執筆   田母神 裕也

 

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