不動産購入の御検討にあたり、土地勘は無いけれど、よく聞く都市の名前だからいいのかも…と、御検討される方も多いのではないでしょうか?
都市の名前は知っているけれど、実際のところ、どういった地域なのか?
どれくらい需要のある地域なのか?
これからの発展の可能性はあるのか?
など、よくわからないという方も多いと思います。
今回は弊社で調べました、各都市の昨今の状況についてお伝えしたいと思います。
今後の不動産購入にあたり、参考にして頂ければと思います。
神奈川県平塚市の基本的なことを知っておきましょう。
面積 | 67.82km2 |
世帯数 | 116,686世帯 |
全人口 | 258,463人 |
男性人口 | 128,917人 |
女性人口 | 129,546人 |
人口密度 | 3,811人/km2 |
平塚市の木 | くすの木 |
平塚市の花 | なでしこ |
平塚市の鳥 | しらさぎ(コサギ) |
※人口は、令和5年10月1日の推計人口(令和2年国勢調査確定値から推計)
神奈川県平塚市は、神奈川県の南部にある相模湾沿いにあり、東西でいうとほぼ中央に位置します。東京から南西に約60kmの場所です。市の東側には茅ヶ崎市や寒川町、北側には厚木市や伊勢原市、北西には秦野市、西には中井町、そして南西に大磯町が面しています。
市南部は約3.8kmの海岸線がありますが、北部は丹沢・大山山麓が控え、北西に目を向けると富士山や箱根連山を眺めることができます。
神奈川県の市町村の中で人口が多い10市を挙げてみました。
順位 | 市町村 | 人口 |
1 | 横浜市 | 3,771,766人 |
2 | 川崎市 | 1,545,604人 |
3 | 相模原市 | 725,087人 |
4 | 藤沢市 | 443,986人 |
5 | 横須賀市 | 375,424人 |
6 | 平塚市 | 258,463人 |
7 | 茅ヶ崎市 | 245,453人 |
8 | 大和市 | 243,252人 |
9 | 厚木市 | 224,058人 |
10 | 小田原市 | 186,338人 |
※ 人口は令和5年10月1日現在
令和5年10月1日現在の平塚市の人口は、神奈川県の33市町村の中で6番目の多さです。
近隣の厚木市や茅ヶ崎市と比較してもひけを取らない多さです。
「平塚」という名前は、新編相模国風土記稿に記載されている内容から付けられています。
そこには、大住郡平塚宿の条に、桓武天皇の孫にあたる高見王の子である政子が一族と東国へ下向途中に病死したので、ここに埋め塚を築いたところ、長い月日が流れるうちに封土が崩れて平らになったことから、「平塚」という地名が発生されたといわれています。
平塚市は、工業、農漁業、商業がバランスよく栄えています。
平塚市で毎年7月上旬に開催される「湘南ひらつか七夕まつり」は全国的に有名です。
戦後商業振興策で始められたまつりですが、七夕飾りの豪華さは日本一と称されています。メーン会場の「湘南スターモール」には絢爛豪華な飾りが通りを埋め尽くし、活躍中のスポーツ選手や流行りのキャラクターなどの飾りがまつりを彩ります。まつりでは、飾りのほか、パレードなど各種催し物が開かれ、多くの人を惹きつけます。
そのほか、海釣り、川釣りが楽しめるほか、ボードセイリングなどマリンスポーツも盛んです。
平塚市には、東海大学や神奈川大学のキャンパスが存在します。加えて、美術館や博物館もあり、教育文化には充実した街です。
そして、サッカーJリーグ「湘南ベルマーレ」(Jリーグ昇格当時のチーム名「ベルマーレ平塚」)のホームグラウンドである「レモンガススタジアム平塚(平塚競技場)」があり、神奈川県南部のサッカー熱を盛り上げています。
神奈川県平塚市の変遷を時系列に沿って表にしてみました。
年月 | できごと |
1929年(昭和4年) | 平塚町と須馬町が合併して平塚町になる |
1932年(昭和7年) | 市制移行。神奈川県下4番目の市となる |
1954年(昭和29年) | 旭村と合併 |
1956年(昭和31年) | 大野町、神田村、城島村、金田村、土沢村、岡崎村(一部)と合併 |
1957年(昭和32年) | 金目村と合併 |
神奈川県平塚市は、第二次世界大戦からの復興とともに発展してきました。
1887年(明治20年)に、現在のJR東海道本線平塚駅が開設されてから、おもに工業を中心に繁栄してきました。そして明治38年の軍事工場の設置が大きな転機となりました。紡績や化学工場が点在する中、昭和に入ると軍需工場が建設され、第二次世界大戦中は国内の軍事産業の一端を担う都市へと発展しました。
しかし、これが平塚市の運命を大きく狂わせます。第二次大戦でアメリカ軍は、地方の中核都市への爆撃を計画し、その爆撃候補に軍事産業拠点の一つである平塚市を選んだのです。平塚を攻撃することは日本軍に大きなダメージを与えることができるわけです。昭和20年2月から8月の間に計12回の空襲に見舞われ、多くの一般市民や軍事工場を失ってしまいました。
このように大きな被害によって廃墟と化した平塚は、戦争の終わった後の昭和20年12月に閣議決定された戦災復興基本方針により、戦災都市の再建がおこなわれることになり、平塚はその都市の指定を受けることになったのです。
しかし、その当時の平塚市は直営できるほどの行政力が無かったため神奈川県に依頼して復興事業をおこなうこととなりました。この時に計画、実行された土地利用計画や緑地計画、上水道計画、街路計画が現在の平塚市の街づくりの基礎となっています。
戦後は悲惨な状況となった平塚市に光を与えようと昭和25年に「平塚市復興まつり」が1週間開催されました。この祭りは大盛況に終わり、地元商店街からは毎年行いたいといった意向があったことから、現在の「湘南ひらつか七夕まつり」に名称を変えて存続しています。
そして平塚の復興に欠かせないのが、競馬、競輪、そして宝くじです。これらの財源が平塚の復興に大きく影響したのは間違いありません。
神奈川県平塚市のさまざまな制度をご紹介します。
平塚市は、誕生から中学3年生まで所得制限なしで、すべての小児を対象として医療費が無料です。入院、通院ともに対象となりますが、保険適用外のものは、対象とならず全額自己負担となります。
国民年金第1号被保険者で、平成31年2月1日以降に出産した方は、出産予定日または出産日が属する月の前月から4か月間の国民年金保険料の納付が免除されます。
平塚市では、子育て世帯を全面的にバックアップするべく、さまざまな制度を完備しています。おもな制度をご紹介します。
平塚市では、18歳未満の子どもとその家庭での悩みや、児童虐待などの相談に専門員が対応できるように、子ども家庭総合支援拠点を設置しています。あらゆる問題を医療や教育、保健、福祉などの関係機関と連携して解決へ導きます。
平塚市のファミリーサポートセンターは、子育ての支援をしてほしい依頼会員と、支援してあげたい支援会員が集まって、子育てをおこなっていくという制度です。支援の内容は、保育所や放課後児童クラブの時間外や、保護者の病気などにともなう子どもの預かりや、送迎などです。
依頼会員は、0歳から小学6年生までの子どもを持つ原則として平塚市に在住や在勤している方が対象となります。
支援会員は、平塚市に住む20歳以上で健康な方が対象となります。事前に支援会員講習会を受講する必要があります。
神奈川県平塚市にある唯一の旅客駅が「JR平塚駅」です。平塚駅の主要データは以下のとおりです。
開業年月日 | 1887年(明治20年)7月11日 |
鉄道会社名 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
路線名 | 東海道本線 |
乗車人数 | 52,275人(2022年) |
ホーム | 2面4線 |
住所 | 神奈川県平塚市宝町1-1 |
平塚市は、令和5年7月より、「平塚市敷地共同化推進事業支援制度」の運用を開始しました。今回の制度は、駅周辺地区将来像構想の第1弾と位置づけられています。
平塚駅周辺は、狭小な土地が多くて個々で有効な土地活用がおこないにくいことから、敷地を共同化することで大きな開発へ前進していきます。平塚市担当者は、共同で敷地を開発することで、大きな街区に発展させることを狙っています。そのため、市では共同化で事業を検討する地権者などに支援をおこなうことになっています。
「平塚駅周辺地区将来構想」概ね20年後の将来像を官民連携で策定し、デジタル化等の技術の取り入れ、温室効果ガスの排出削減・カーボンニュートラル、自動運転社会等の取り入れ、令和4年にはその機能検討をし将来構想をまとめ、令和5年度以降にエリア・路線ごとに必要な機能を検討し、市街地の再整備を実現する計画策定に着手しています。
また地元経済界商工会議所が旗を振り、2023年「平塚駅周辺再開発構想会議」を設立。駅周辺建物の老朽化などの再開発を誘導するための支援策などの「アクションプラン」として取りまとめる。
令和5年7月より市が共同建替えを応援し、敷地共同化アドバイザリー派遣し、年間上限20万円の補助で共同建替え活動の支援をします。
平塚商工会議所青年部は、平塚駅周辺再開発について、方向性についての取り組みのアイデアを提言しています。
そのさまざまな提言をここでは紹介していきます。
湘南ベルマーレのホームスタジアムであるレモンガススタジアムに繋がる道路をベルマーレカラーの青や緑に整備します。
さらに、スマホをかざすと画面を通じベルマーレの選手たちが、一緒に歩いてくれるというAR技術を駆使したサービスを提言します。
そして試合後の食事先におすすめの飲食店をARで宣伝するといったおもな内容です。
商店街が夜を迎えるとプロジェクションマッピングを用いて、七夕をイメージした街並みへと変化します。
このプロジェクションマッピングでは、街や商店街のPRなどもおこなうことができます。
JR平塚駅前のロータリーを再開発して大きな公園を商店街に隣接した位置に整備し、幼稚園や保育園の送迎バスステーションを完備して商店街への動線を確保します。駅周辺に活気が溢れ、土日は公園と商店街の人の行き来を促していきます。
街のいたるところに、出会いと求める人同士を結ぶことができるQRコードを設置します。
QRコードをかざせば、自動的にマッチングされて登録された飲食店が出会いの場となるのです。
商店街のいたるところに、くじが引けるQRコードがあり、取り込むとくじが引けます。
そのくじが当たると、商店街で素敵な特典が得られるのです。毎日1度くじを引くことができるので、毎日通いたくなります。
商店街の動線に、動く歩道を設置します。海にも、そして飲み屋にも繋がっていて、楽々移動が可能です。
自転車専用道路を設置します。
そしてレンタサイクルを商店街や市内観光地に整備して、どこへでも気楽に移動できるようにします。
平塚駅周辺開発とは別の話になりますが、新幹線の新駅誘致が平塚市でおこなわれています。
現在、平塚市を通過する新幹線ですが、その前後の駅は新横浜と小田原で、この間の距離が50km以上あって東海道新幹線での駅の間隔の広さは2番目の長さです。しかし平塚市は、その間のほぼ真ん中に位置します。
平塚に駅ができることのメリットは、湘南地区に唯一の新幹線の駅ができ、湘南へのアクセスが確保できることでしょう。これにより、約100万近く存在する湘南地区の人々の新幹線の利便性がよくなります。そして湘南への観光客もより多くなるでしょう。
JRとの協議は進んでいて、リニア新幹線が完成によって、新幹線のダイヤに余裕ができれば、新駅設置の実現できる可能性が高まるとJR東日本は回答しています。
新幹線以外にも新駅誘致の運動の機運も高まっています。それは相模鉄道いずみ野線の延伸による新駅誘致です。
現在、湘南台駅が終点になっているところを延伸して、新幹線の新駅を相鉄の終点として新駅とするのです。国土交通省の交通政策審議会では、2030年を目標年次としている「地域の成長に応じた鉄道ネットワークの充実に資するプロジェクト」に選定されています。
平塚駅や、平塚駅が属する東海道本線などの歴史を振り返ってみましょう。
まずは、JR平塚駅の歴史を時系列でみてみましょう。
年 | 出来事 |
1887年(明治20年)7月11日 | 官設鉄道が旧横浜駅と国府津駅間に延伸されたことに伴って国有鉄道の一般駅として開業する |
1898年(明治31年)5月15日 | 専用線(別章で解説)の供用が開始される |
1906年(明治39年)7月1日 | 平塚支線が開通する |
1909年(明治42年)10月12日 | 線路名称が制定されて東海道本線所属となる |
1924年(大正13年)4月1日 | 平塚支線が廃止になる |
1971年(昭和46年)9月25日 | 客貨分離によって新設の相模貨物駅に貨物取扱業務を移管する |
1986年(昭和61年)11月1日 | 荷物取扱を廃止する |
1987年(昭和62年)4月1日 | 国鉄分割民営化に伴い東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる |
平塚駅には、以前、さまざまな専用線が存在しました。それは平塚市が戦前は軍需産業都市として、そして戦後は工業都市として繁栄してきたことを垣間見ることができる貴重な歴史となっています。
平塚駅構内南側から分岐していた専用線がありました。これは本線南側を東へ進んだ後、南北へ分かれます。北へは戦前、航空機を製造していた日本国際航空工業へ、南へは戦前、造船業だった横須賀海軍工廠へ繋がっていました。
そして平塚駅構内北側からは西に進んでいく専用線がありました。その線路はその先北へ進み、通称第二海軍火薬廠線として存在していましたが、現在は市道となっています。
このように戦前の平塚は日本軍を支える大事な産業都市であり、平塚駅から伸びる専用線は、その軍を支えていた重要な路線でした。
第二次世界大戦が終了した後も、平塚市は工業都市として存在感を発揮しています。そのことが平塚駅からの専用線は、戦後には民間利用されていることからも理解できます。
南に繋がる専用線の先には、鉄道車両用電気機器の製造などをおこなう東洋工機が、そして北側には日産車体や横浜ゴムといった輸送用機器製造メーカーに繋がる専用線がありました。駅周辺には、日本たばこ産業平塚工場や、セントラルガスへも専用線が伸びていました。
このように日本の産業を担ってきた平塚駅から伸びる専用線も昭和から平成にかけて徐々に廃止していきました。
江戸末期より、鉄道に対するメリットが知られるようになり、江戸と大坂を結ぶ鉄道の計画がありました。しかし、費用が莫大にかかることが懸念材料となっていました。そんな中、明治政府主導で東京の新橋と開港間もない横浜を結ぶ官設鉄道が1872年10月14日に開通し、これが東海道本線の基点となるのです。
その2年後には、阪神間の鉄道も開業して、いよいよ東京と大阪を結ぶ鉄道の計画がなされます。当初は海岸沿いを通る東海道に鉄道をつくると、戦争時から攻撃を受けやすいという懸念から中山道を通る予定でした。しかし山間部が多いことからトンネルや橋梁を多く建設しなければならず多額の費用がかかることから、東海道沿いに鉄道を敷くこととなりました。
そして明治22年7月1日に東京〜神戸間が開通したのです。
自動運転移動サービスを中心とした地域公共交通のDX推進に係る連携協定に2024年1月に新たにいすゞ自動車が参画。神奈川県中央交通、いすゞ自動車などが自動運転仕様に改良したいすゞ製の大型路線バスを活用し、車両周辺の状況把握には高精度センサー「LiDAR(ライダー)」を搭載、高精度3次元地図で自車の位置を推定しながら自動走行する。路線バスの実証実験を2024年1月22日に開始します。
ツインシティ計画は東海道新幹線駅を誘致している寒川町倉見地区と相模川を挟んだ平塚市大神地区とを新たな道路で結び、施行期間は2015年度〜2029年度、施行面積は約68.8ha、総事業費は約218億円、人口計画3,300人の住宅地も大規模に整備した15年計画の相模川の東西両地区が一体となった環境共生都市を形成する計画です。
寒川倉見地区は1997年に新幹線新駅の誘致地区として決定しており新駅が実現すれば東海道新幹線の新駅が誕生し、神奈川県の県央地区において、相模原のリニア中央新幹線と寒川の新駅で「北のゲート」「南のゲート」が完成します。そこから平塚市の北側をツインシティ大神地区の北の核として位置付けられているのがこの平塚市となります。イオンモールが2023年4月4月に開業した敷地面積約131,000m2店舗数147店舗が入るサーキット型商業施設は湘南市域の中でも大型店舗となります。ツインシティ大神地区内に開業し、当初2018年に新東名高速厚木南インターが開設され、アクセスが良くなった場所です。
1973年6月国鉄が直接投資した日本で初めての駅ビル「ラスカ平塚」は1994年にトイレを中心に「暗い、汚い、臭い」というイメージを払拭し改修を行い、全国でも珍しい改修工事だったため多くのメディアに注目された。平塚駅美化工事と共に、2019年春に大規模な改装・新規出店によるリニューアルし、今後50年平塚駅の玄関口として繁栄させるとしています。
2015年4月10日着工2016年10月開業。日産車体再編前の湘南工場の14.3uを2015年3月に三井不動産が地区計画の手法である天沼地区土地区画整理事業の施行によって「ららシティ湘南平塚」として開発。敷地面積約182000u内、商業施設は約61,000uでハンズやイトーヨーカドー、ラウンドワンなど246店舗があります。
開発地区には、分譲マンション「パークホームズLaLa湘南平塚」、戸建て住宅地区「ファインコートLALA湘南平塚」、ならびに済生会湘南平塚病院(2017年7月、新築移転。済生会平塚病院から改称)などと共に整備された商業施設です。
2016年に約80年の歴史に幕を降ろしたJT平塚工場跡地を2019年に住友商事76,000m2、長谷工コーポレーション15,000m2の土地を取得しました。そこに今回ビバホームの親会社のアークランドサカモトとヤマダ電機が業界を超えた専門店の集いを2024年春開業予定敷地面積77,000m2鉄骨作り2階建ての50店舗が開業予定です。
JT工場跡地に建設。平塚駅南口へつながる
売主:住友不動産
設計:長谷工コーポレーション一級建築士事務所
施工:長谷工コーポレーション
価格:3400万円〜5000万円
専有面積:67.20m2〜75.09m2
総戸数:425戸
規模:7階建て
他にも
売主:野村不動産(株)
販売:野村不動産(株)
売主:エヌ・ティ・ティ都市開発(株)、(株)フォー・ユー
販売:伊藤忠ハウジング(株)、(株)アドバンテージ・アール・エー
売主:近鉄不動産(株)、西日本鉄道(株)、第一交通産業(株)
販売:(株)長谷工アーベスト
など大型住宅施設の建設も多く、今後の発展が注目されます。
日本のドーナツ化現象の緩和の要因である交通網の広がりにより一都三県のベットタウンは広がりを見せている関東ですが、最近では住宅街だけではなく大型商業施設の開業を共にその町が発展していくことが多くみられます。
湘南地域は茅ヶ崎、湘南台、藤沢など開発や民間一体で発展したことにより、人口増加の成功が実績としてあります。平塚市もその地域であり、市場価格も上昇している注目の地域となります。
執筆 植木 えりか